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志村けんさんが亡くなった。アイーンやだっふんだを発明

2020/03/30 10:00

今、ザ・ドリフターズの志村けんさんの訃報をしりました。

新型コロナウィルスに感染し入院していました。昨日では小康状態が続いていると言う情報で、勝手に回復に向かっていると思っていました。

その志村さんが亡くなったなんて、信じられない。

志村けんさんは復活すると、またあの笑顔でテレビに戻ってくるとなんの根拠もなく思っていました。

小さい頃、8時だョ!全員集合を見て、バカ笑いして、志村けんさんの真似をしてヒゲダンスやったり、「アイーン」とか「変なおじさん」とか、バカ殿見てお約束のコント見て笑ったり、、、

志村さんの笑顔の印象が強すぎて、あの笑顔でまた戻ってくると思っていたので、、、

めちゃくちゃショックです。

今はあまり言わない表現ですが、お茶の間に笑いを届けるといえば「8時だョ!全員集合」でした。

幼少期にあの番組を見て、笑い転げて、家族が笑って、あたたかい時が流れて、幼いながらも「笑うっていいな」と気づかせてくれた番組で、その張本人は志村さんでした。

70歳でも現役で「笑い」にこだわってらして、今年は映画の主演やドラマなどの出演も決まっていた。

志村さんはずっと笑いにこだわってきたからカッコイイんだな。

今、テレビで「スッキリ」を見ています。ハリセンボンのはるなさんが顔をくしゃくしゃにしながら泣いています。

それを見て、僕も涙が流れてきます。

志村けんさんは復活するとなんの根拠もなく信じていたので。あまりにも突然で、ショックが大きすぎる。

なんでだろうと考えると、小さい頃からテレビを見ていたので親近感がある。そして笑わせてもらったので感謝しているんだと思います。

志村けんのギャグ

今書いていて、志村さんって、最大で最後のギャガーだなと思いました。

あんだーよー、おこっちゃやーよ、アイーン、だっふんだ、そうですわたすが変なおじさんです、だっふんだとか誰もが一回は聞いた事あるフレーズじゃないですか。

ギャグの代名詞です。ダウンタウンさんが出始めてから「ギャグ」で笑いをとるというのが、少なくなりましたが、8時だヨ!全員集合とか、俺たちひょうきん族の頃までは「ギャグ」=「笑い」のところもありましたから。

金スマの再放送で志村さんの追悼番組やってました。新たに「いっちょめ、いっちょめ、わ〜お〜」、「カーラースーなぜなくのーカラスの勝手でしょー」とか早口言葉のテレッテレ、テレッテレ、テレッテレレレレ、ンテーのダンスとか小さい頃めちゃくちゃ真似したな、懐かしい!あと、ヒゲダンスも。

そして、8時だヨ!全員集合の笑いの構造に対して、「権威を落とす」という構造で笑いが成り立っていたと志村さんはおっしゃってました。威張っているいかりや長介をみんなで引きずりおろす、それが痛快でみんなが笑うという構造です。

あと、体張って必死にやる。これはドリフの前からあったのかのもしれませんが、今でいうリアクション芸。急な坂道をダッシュして駆け上がるとか、たらいが頭に落ちてくるとか。

あとはちょっとした下品ネタ、服脱ぐとか、う○こち○ち○系の発言とか、多分ここらはあえてタブーなことすることで笑いが起きる構造なんだろうなと感じました。

志村さんほどこの「ギャグ」を数多く世に流行らせた人はいないと思います。平成の最大のギャガーは志村けんさんだと個人的には思います。

志村さんの「人が笑うってよくないですか?人の笑顔と笑い声が好きですね」「お笑いとはあったかいもの、人を元気にするもの」っていうコメントがすごい共感できて、大好きな言葉です。

そんな志村さんがどんな経緯で「お笑い」をやろうと思ったのか気になったので調べてみました。

すると、厳格な父親の堅苦しさから逃れるための手段が笑いだったようです。

ですが、その笑いは志村さんの生涯そのものだなと感じます。

志村けん年表

1950年2月20日生まれ、本名は志村康徳。東京都東村山市生まれ。

父は憲司、母は和子。男3人兄弟の末っ子。志村「けん」の「けん」は父親から取ったもの。

父親は厳格で、家庭の空気がいつも重くて嫌だった。

しかし、テレビのお笑い番組や漫才や落語を見ていた時だけは父親も笑っていて、嫌な日常を忘れることができた。

そのような経験からお笑い芸人の世界に憧れをいただくようになり、中学生の頃から本格的にお笑いを仕事にすると決めたらし、中学校の文化祭などでは既にコントをやっています。

ちなみに高校時代はサッカー部でゴールキーパー。

1968年2月
高校卒業後にいかりや長介のいえに直接押しかけ、弟子入りを志願する。雪の降るなか、いかりやの帰宅を12時間ほど待ち続ける。にもかかわらず門前払い同様の扱いを受けたが、それでも食い下がったため、根性を買われ仮採用。

加藤茶の付き人となるが1年で脱走しています。
戻りづらく、加藤茶にお願いしていかりやに出戻りを許してもらった。

1972年
22歳の時に同じくドリフターズの付き人であった井山淳とお笑いコンビ「マックボンボン」を結成。10月にはコンビ名の冠番組「ぎんぎら!ボンボン!」に出演が決まるが、知名度の低さとネタの少なさで早々に番組が打ち切りになりました。

1973年12月
メンバー見習いの扱いでドリフターズの付き人となりました。

1974年3月
荒井注が脱退。4月1日より正式にドリフターズのメンバーとなる。他にも豊岡豊やすわしんじも検討していたが、加藤茶の推薦もあり24歳の志村が起用されました。

1976年
8時だヨ!全員集合のコーナーで東村山音頭がヒット

1979年
加藤茶とのヒゲダンスヒット
スイカの早食い

1980年
カラスの勝手でしょ〜がヒット

1985年
8時だヨ!全員集合が終了

1986年
加トちゃんケンちゃんごきげんテレビスタート

この頃のから、「志村けんの失礼しまぁーす!」、「志村けんのだいじょうぶだぁ」、「志村けんのバカ殿様」が始まり、現在は不定期に放送されていた。
あんだーよー、おこっちゃやーよ、アイーン、変なおじさんなど、誰もが一回は口にしたことがあるギャグが発明される。

2004年
天才!志村どうぶつ園スタート

2005年
ビートたけしと組んで1時間半のコント番組「たけし☆志村 史上最強の爆笑スペシャル!!」を制作

2006年
理想のお笑いを追求すべく、東京芸術劇場で「志村魂」の舞台を上演する。

*ウィキペディアより